旅をはじめたのはちょうど20世紀の終わりごろ
幼いころから、内側のもの、見えない世界、この広い世界、宇宙に深く興味関心があり、
その探求は私を旅に向かわせた
海外は当時の私にとっては未知の世界だったし、それだけで、興味深々だった
沢山の国があるのに、アジアを選んだのは、
直感的にそこに精神的で揺るがない、何かがまだ残り続けていると感じたから
内なる探求の声に耳を澄ました
決めた最初の国は、ほほえみの国タイランド
そこから、幾度どなくタイに足を運び、東南アジアを旅して回った
楽しくって、懐かしくって仕方無かった
一人で旅をすることで、見えてくる私
沢山の旅人と出会い、話をし、学び、世界観が広がっていくことのワクワク感
そして、現地の人々と話をし見えてくるもの、そこでの暮らし、現実を味わいながら
より深い探求、そして内なる存在を確かめるかのごとく
2002年初めて、当初からの目的地であったインドへ足を運ぶことになる
東南アジアは比較的日本に近い文化圏だったが、インドはそれとはまた違っていた
沢山の衝撃を受けながらも、私の内なる声は喜んでいた
ついにきたと
インドは当時から比べると、ここ10年経済発展著しく
かなり旅もしやすくなり、お洒落なCafeなんかも最近では街中に見かけるようになったし
スマートフォンも普及、デリーには地下鉄もある
70年代、当時、精神的な探求が繰り広げられ、世界中から多く人々がインドを訪れはじめる
ヨーロッパからバスでインドへ向かう人たちもいた
旅人、宗教家、フラワーチルドレン、、、。
そのままインドに滞在し、生活し今にいたる人々もいる
今では、さらに様々な人々がインドを訪れる
その当時からすれば、かなり物資的には変化している
名前と形のあるもの
それは変化しつづけるもの
その背後に
変わらずに、普遍なる存在と共にある姿
いつまでも、これからも
それは変わることのない真実
新しいと古いが一緒に在る国
デリー空港に着いた瞬間から、空気感が違っていた 笑
今のデリー空港はかなり近代的で、洗練されている
当時、それはなかった
最初の目的地はベナレス(ヴァラナシ)
母なる川ガンジス
人々はガンガマーと呼ぶ
いわゆる日本の川という概念ではなく、大いなる存在そのもの
全てを広くて深い愛で包み込む
祈りと生活が混然一体となり
生と死とは何なのかを教えてくれる
今までの価値観は根底から覆された
どんな人もそれぞれに役割がある
そして、目に光がある
言葉は時として
その背後にあるものを見えなくもする
言葉はその背後を示す、光ともなる
これが聖典の教え
まず、体験し、感じた
静かで、そして深い母なるインド
気付けば、私はインドにいた
今までの人生はこのためにあったのだと思った
そして、この国が私が求めていた全てを知っていると直観した
ここから、本当の意味で旅がはじまった
OmTat Sat
つづく