この全宇宙は空間(アーカーシャ)と生気(プラーナ)という二つのものからできあがっているとインド哲学では考えられている
空間はいたるところに存在し、きわめて精妙なものなので、それと認識されることはない
この世のに存在する物質という粗雑な存在(物質世界)は必ず形をもちあわせており、空間との組み合わせによってこの世に創りだされてきたものだとかんがえられている
この空間内で大宇宙が創造され消滅してゆくようにさせている力がプラーナと呼ばれているものだ
万所に偏在する限りない力そのもであり、物質からできあがっている全てのものは、固有のエネルギーをもって運動しており、
そうした万物の運動すべてはこのプラーナのもっとも粗雑な形が現れているのである
この世界はすべての事象が相互に関連するように創造されており、その事物によって固有の自由度があり、すべての存在はこのプラーナの働く自由度の顕現なのである
そう、プラーナが少しずつ変化することによってこの世の様々な次元が現れている
そして、人間の中にあり、非常に繊細なプラーナの現れ方が、チッタ(心素)と呼ばれているプラーナの新たな姿だ
こころとして現れているプラーナの場合は望めば自分で変われるという自由度を獲得している(こころには様々な動きがあるから)
自由度がたかまるにつれ、能力、才能が発揮され、もっとも微細な形態においてプラーナは至高の歓喜、至福としてあらわれ、それ以上の活動はなくなる
こうしたプラーナの源となっているのがチャイタンニャと呼ばれる「純粋意識」(いわゆる神の意識)なのである
万所に偏在し未顕現にして永遠に存在する絶対者ブラ―フマンであり、アートマンと呼ばれている存在である∞
ヨーガはまさにここに到ろうとする、体験の科学なのである∞